|
六ヶ所村通信 no.2六ヶ所村通信no.1に引き続き、no.2は2004年の夏から12月にかけての取材スケッチです。 オープニング有機栽培でトマトを育てる荒木茂信さんは、真っ赤に熟れたもぎたてのトマトを子供たちに食べてもらおうと、ビニールハウスでトマトを収穫します。荒木さんは食べるということは他の命をもらって生きているということなのだと言います。荒木さんを訪ねた農協職員の浜田千春さんは六ヶ所村に使用済み核燃料再処理工場があることで問題になっている、風評被害について質問されますが、風評被害の意味を誤解してしまいます。「再処理工場について、事故があれば恐いとは思うけれどあまり実感がない」と言います。 幼稚園では子供たちが大きなトマトにまるごとかぶりつきます。100パーセント有機栽培で育てられたトマトの味を子供たちは楽しみます。 隣接市町村申し入れ巡り再処理工場は2006年の本格稼働に向けて、まずウラン試験をしなければなりません。そのウラン試験をするためには隣接市町村の同意を得る安全協定を結ぶ必要があります。そうした手続きが進められようとする中、8月に福井県の美浜原発で大事故が起き、死亡者が出てしまいました。これをきっかけに核施設に対する不安が高まります。六ヶ所村でチューリップ農場を経営する菊川慶子さんは、荒木さんや他の「核燃から海と大地を守る隣接農漁業者の会」のメンバーと共に六ヶ所村の隣接市町村を回って安全協定を結ばないように申し入れをすることにします。それぞれの市町村の役場では様々な反応が返ってきます。申し入れは聞き入れてもらえるのでしょうか。 泊の人々漁業が盛んな泊地区の海岸では昆布とりをする人々がいます。夏が終わると昆布は採れなくなります。漁港ではこれから鮭漁がはじまろうとしていました。「再処理工場がなかったら、六ヶ所村は仕事もなくて過疎化する一方だった」と漁師はつぶやきます。 再処理工場内で働くために六ヶ所村に引っ越してきた人がいます。相内一泰さんです。クリーニング師の資格を取って工場内で働けば、安定した仕事が得られる、と思いきって転職しました。今は資格取得のためにワイシャツのアイロンがけを特訓中です。 岡山建設岡山建設は六ヶ所村を代表する企業の一つです。開拓二世の会長、岡山勝廣さんは再処理工場建設の段階から積極的に日本原燃の事業に関わり、多数の雇用を生み出してきました。原子力産業に関わる一方で、バイオマス発電、風力発電などのエネルギー事業にも乗り出そうとしています。岡山さんは新しいエネルギーを六ヶ所村の地場産業にして世界に貢献するべきだと考えています。 岡山さんの次男、康広さんも再処理工場の中にある岡山建設プラント事業部で働いています。「原子力は目に見えなくて認識しにくいけれど管理が徹底されている施設内で危険を感じたことはない」と言います。 毎年、商工会が主催するろっかしょ産業祭りでは村人たちが思い思いに楽しんでいます。とまりクリーニング社長の小笠原聡さんはロックバンドでギターを演奏します。このバンドは岡山康広さんがボーカルで歌い、日本原燃や関連企業で働く人々が参加しています。 ウラン試験に向けてウラン試験のための安全協定が近々締結されるということが報道されます。来年に向けて球根の植え付けをする菊川さんと共同経営者の定岳さんですが、このことが本格稼働への大きな一歩となってしまうという思いを巡らせます。再処理工場が本格的に稼働すれば、煙突から出された微量の放射性物質が畑や海に蓄積され、やがて甲状腺癌などの率が少しずつ増えていくだろうと菊川さんは予想します。自給自足の生活を心がけているので、自分の畑で採れた野菜を食べるのは日常のこと。この日も採れたての青々とした小松菜を料理します。 一方、とまりクリーニングでは、社長の小笠原さんがクリーニング師を目指す相内さんたちを特訓中です。「今は都会での出稼ぎ先もない。地元で雇用を作っていくことが大切だ」と言います。再処理工場が可動すれば工場内のクリーニングに24時間体制で60人の人手が新たに必要となるのです。相内さんは目前にせまったクリーニング師の国家試験に向けてラストスパートをきります。 2004年11月22日、いよいよ安全協定が締結される日がやってきました。菊川さんは抗議の意志を示す為に青森市に向かいますが、青森県知事、日本原燃社長、六ヶ所村長は協定を締結します。続いて六ヶ所村に隣接する全ての市町村も安全協定を締結しました。 荒木さん一家は長芋の収穫で大忙しです。荒木聖子さんは「みんな仕事とかお金のことを考えちゃうけど、やっぱりそれより命がずっとずっと大事」とつぶやきます。 みぞれまじりの雪が降る12月21日、ウラン試験が始まりました。 |