鎌仲監督ブログ

六ヶ所村通信 no.1

※各画像をクリックいただくと、詳しい情報がご覧になれます。

今回の通信no1 は4つのシーンから構成されています。4月から8月の終わりまでの取材スケッチです。

  1. オープニング

     初春の六ヶ所村。チューリップ祭りを毎年開催する菊川慶子さんが登場します。

     核施設に頼らない生活を実践することが彼女の運動の核になっています。

     ただ単に核施設に反対するのではない、別の選択肢もあるのだと、菊川さんは言葉だけではなく実行しているのです。そのチューリップ祭りは12年目を迎えて今では六ヶ所村の春の名所となっています。その会場で出会った老人、清水目さんは若者たちが反対運動に参加しない理由がわからないと言います。

  2. 再処理工場

     2004年6月 再処理工場に1年7ヶ月ぶりに使用済核燃料が搬入されました。貯蔵プールに100カ所以上も溶接ミスがあって漏洩事故が起きてから止まっていた搬入が再開され、フェンスの外には反対する人々が集まりましたが、ほんの僅かな数の人々です。その中には菊川さんの姿もあります。

     日本には52基の原発があってそこから毎年1000トンの使用済核燃料が出てきます。これまでフランスやイギリスに運んで再処理をしてもらっていました。その際に出てきたプルトニウム40トンは未だにフランスに預けたままになっています。

     これからこの使用済核燃料を六ヶ所村の再処理工場で再処理しようという計画です。

     再処理工場は10年、2兆2千億円をかけて株式会社日本原燃が建設しました。この工場で800トン分の燃料棒を溶かし、そこからプルトニウムを取り出して再び原発で使おうというのが、原子燃料サイクル計画です。再処理をすると安く電気ができるというふれこみで始まりましたが、実は割高だということが解ってきました。またその後の後始末にも19兆円という巨額の費用がかかるので再処理を見直そうという機運がこのころ高まってきました。

  3. ハンスト

     7月、暑い盛りに八戸に住む、山内雅一さんが市民によびかけて青森県庁の前で一週間のハンガーストライキを始めました。再処理工場を稼働させるためには放射性物質を入れてテストをする必要があります。これをウラン試験といいます。山内さんは稼働する前にもっと議論すべきだと考え、ウラン試験を止めようと市民に呼びかけることにしました。ところがほとんどの市民は全く無関心です。東京から駆けつけた女性はあまりの人の少なさに驚愕してしまいます。菊川さんも応援で参加します。そんな中、県が主催するウラン試験に関する説明会が開催されました。平日、朝の9時から始まったというのに会場は人で一杯です。あんなに無関心だった市民が突然、こんなに関心を示すようになったのか!? 説明会が終わって、山内さんは疑問と怒りをこめて街頭と県庁にむかってメッセージを読み上げます。

  4. 泊漁港

     六ヶ所村、泊部落はかつて核燃をめぐって賛成派と反対派に別れて激しく争いましたが、結局漁業組合は漁業権を放棄してしまいました。菊川さんと山内さんは一緒にこの部落でウラン試験の説明会に行って反対してもらおうとビラをまきます。村人の反応はあまり芳しくありませんが途中でアイスクリームをもらって励まされたりします。漁港を見下ろす丘の上で出会ったおばあちゃんは息子さんが大工で仕事がないと心配そうです。山内さんは現地に来ると、単純には反対とは言えない、この人たちにも生活があるのだからとつぶやきます。おばあちゃんは二人にイカをくれました。

     この泊部落でクリーニング店を営業する小笠原聡さんは地域に根ざした店を目指して、事業を展開してきました。今では六ヶ所村で一番大きいクリーニング店に成長しました。

     最初は原発のことを知らずに怖いと思っていたが、自ら、勉強会をすることで今では原子力発電を維持するために再処理事業は必要だと確信するようになったと言います。未来の子供たちのためにも電気のある生活は維持していかなければならない、またCO2の削減にもつながるというのが小笠原さんの意見です。勉強会はこれからも続けていきます。